目の前で机に突っ伏したまま無防備な寝顔をした主の姿に、彼女の下僕は眉を寄せた。
それはいつもと同じ、穏やかな昼下がりの金波宮で―――



麒麟の憂鬱



「…主上」

小さく、呼んだ程度でこのお方が起きて下さる筈など無いが。
それを知って態と起こさぬは―――何処かでこのまま、と自分が思っているから。

彼女が眠っている時だけ。―――それが、自分の想いに正直になれる時間だから。
この、己にとって二人目の王を…何にも変えられぬ程に、高貴な女王を。
恋い慕っていると自覚したのはもう、随分と前のことになる。

信じられなかった。
先の王をあんな形で失った己が、まさか、女王に懸想するとは。

「…起きて下さいませ、主上」

―――否、お起きにならないで下さいませ―――

呼ばう麒麟の声は、小さく。
陽子の寝息は静かに、規則的に続いたままだ。

そっ、と―――触れるか触れないかの曖昧さで、景麒の手が陽子の髪を撫でる。
彼にとっては神々しくさえある、深紅に波打つ御髪。

その閉じられた瞳に、ゆっくりと上下する背中に、景麒の胸は高まる。
この想いを、表に出すことは決して…許されない。
それは慶という国が特殊な事情を抱えるから、というよりも、景麒自身の心だった。
恋慕の情というものは景麒にとって、哀しみと破壊の始まりを意味するように思えるもので。

大切な主との、この関係を保っていたいから。
信頼を、笑顔を、向けていて欲しいから。

いつもは決して、誰にも悟られぬように、鍵を掛けて。
そして今この瞬間だけ―――少しその封印を緩めて、胸の鼓動を速くしてみる。

景麒とて「麒」―――歴とした「男」である以上は、愛しい女性の傍に何時も居て何も思わぬ訳ではない。
これからずっと、彼女の傍にある限り…引きずるこの感情。
傍にあることが何より至高の幸せだと思う―――しかし、少しばかりの、憂鬱。

「…主上…」

呼び掛けの意図は既に無く、独り言のような景麒の言葉は穏やかに温かい午後の光に溶けていった。



どのくらいそうしていたのだろう…気付けば随分と長く、彼女の寝顔を只管見ていた。
陽は些か西に傾き始めている。

本当によく、眠っておられる。
書きかけの書簡―――急ぎのものでは、ないが。景女王が大切な執務を怠慢することなど無い。
それにしても…堂々と。そしてそれを惚けて見ている自分も。

景麒はふっと溜息を吐いた。

「主上」

今度は正しく陽子の眠りを妨げる意志を持って、低くよく通る景麒の声が部屋に響く。
そっと彼女の肩を揺すって、再び。

主上、と呼ぶ溜息混じりの声に優しさが滲む。

「―――ん…けい、き…?」

「お目覚めですか、主上…」

―――温かい夢を見ていた気がした。
誰かが優しい瞳で、自分を包み込んでくれているような、夢を。

…ああ、私は寝惚けているらしい。
景麒の声が、優しい―――ように、聞こえるなんて。

きっと瞬きをして、完全に覚醒してしまえば…私の麒麟は、いつものように眉間に皺を寄せて。
仁の獣らしくない皮肉の一つ二つ、説教の三つ四つでも聞かせてくれるのだろう。

でも、折角だからもう少しだけ。
何故だか分からないけれど心地良い、この感覚に身を任せてみても良いかな。

「―――あったかいな…景麒」

「―――主上?」

ふわりと微笑んだ陽子に、景麒は目を奪われた。
僅かな憂鬱など、この笑顔で消し飛ぶ―――…そうか、今はまだ良いのだ。
この方の存在が私の存在意義。この方の笑顔が、私の至幸。

それだけで良い。

景麒の表情は、確かに柔らかな笑みをかたどった。
しかし陽子はそれに気付かずに、普段の調子に戻って。

「―――あー眠かった…午後ってどうしても駄目だよね」

「主上…執務は執務です。睡眠は夜の内にお取り下さい」

「はいはい。でも夜寝ても眠いものは眠い」

「我慢して下さい」

これがいつもの、慶国の王と麒麟。
解ってるよ…と唇を尖らせた陽子に呆れた表情を見せつつ―――不器用な麒麟は、心の中で微笑んだ。

―――貴女を…お慕い申し上げております、主上。

いつの日か、貴女に伝えられると良い―――この、鍵を掛けた私の想い。
しかし、それよりも。

どうかこれからも、お傍に置いて下さい。

貴女の麒麟―――貴女の半身。それが私だから。これから先の長い長い時間、永遠に近い歳月を―――
貴女に一番近い、この場所で。








十二国記初小説は景麒×陽子…と言えるかどうか微妙な代物(汗)寧ろ景麒→陽子ですね…
一応、気持ち的には相愛なつもりです。私が基本的に甘々思考なので。陽子さんが自覚してないだけ(笑
このカップル大好きなんです〜♥
障害だらけで大変な二人だからこそ、幸せになって貰いたいですね。

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